僕はおそらく20年以上ダンスミュージックに触れていて、今もメインで好きなジャンルです。でもずっと追っかけていたかといえば、そうではありません。
今回の記事は「僕がどのようにエレクトロダンスミュージックにたどり着いたか」をお届けします。
きっかけは兄が借りてきたジュリアナのコンピCD
僕は物心ついた頃にはすでに実家に置いてあったてんとう虫のレコードプレイヤーにいじり倒し、友達の家にあった高価なオーディオコンポ(SANSUI社製)に触発されたことをきっかけに音楽に目覚めました。
*今はDJの機材やコンピュータに毎日触れているのですが、当時から機材を触ることが好きだったということですね笑。
中学生ぐらいに祖母にねだってCDプレイヤーも手に入れ、近所の図書館でCDを毎週レンタルしては小遣いで買ったカセットテープにダビングして聴きまくるということを繰り返していました。
選り好みをせず棚に置いてあったものを片っ端から借りてきていたのですが、ジャンルはポップミュージックを中心にロック(ハードロック、ヘヴィメタルも含む)、クラシック、ジャズ、ラテン等だったかと思います。
そんな中、ある日兄が当時できて間もないTSUTAYAからレンタルしてきた「Juliana’s Tokyo(ジュリアナ東京)」というディスコのコンピレーションCDを家のオーディオコンポで再生したことで、僕のダンスミュージックの扉は開かれました。
ジャンルで言うと「ハイパー・テクノ」とか「イタロ・ディスコ」でしょうか。
「…リズムとベースかっこよすぎ!」
あの時初めて耳にした衝撃的な印象は、今でも頭に残っています。これまでに低音たちがこれほど主張していたものはなかったのです。
最終的にこのシリーズはお年玉などを駆使して結局5枚ぐらい買ったでしょうか。
そして「ディスコで体感したい!」という思いが強くなっていくが、ガキなのと地理的に遠くて行けなかったので現実にはできず。ついでにジュリアナギャルと絡むことも夢見てたが、悶々としているうちにジュリアナ東京は閉店笑
ちなみに、当時ジュリアナのコンピ以外では「Maharaja Night(マハラジャナイト)」「SUPER EUROBEAT(スーパーユーロビート)」も聴いてましたね。ユーロも全然好きでしたが、あまり突き詰めようとは思いませんでしたけど。
関係ないですが、同じコンピ収録曲でもジュリアナのよりマハラジャのほうがBPMが速かったですね笑
一時休止、ロックに立ち返る
ジュリアナ閉店後はダンスミュージックへのモチベーションが下がって、自ずと遠ざかりました。
僕はロックミュージックに立ち返り、特に「ハードロック」「ヘヴィメタル」を集中的に聴くようになりました。
国内でもX JAPANとかヴィジュアル系バンドとか全盛期でしたしね。
情報源は、今と違って雑誌とラジオとテレビしかなかったのと若かったので、そこ抑えておけば間違いないと思っていました(笑
その後リスナーだけでなくプレイヤーになりたいと思い、当時高校生でバイトしてとりあえずギターを買いました。
なぜプレイヤーになりたかったかはっきりと覚えていませんが、音楽が好きではあったけれど、一番は現実離れをした格好がしたかったんでしょう。やはり若かったのでしょうね笑
一人でこつこつと、音楽を聴いてギターの練習を繰り返していくうちに何となく気づいたことがありました。
それは良質なハードロックやヘヴィメタルのバンドは国内でなく海外にあるということ。しかもバンド数は日本と比べ物にならないぐらいに手厚く存在していることも。
情報源はやはり雑誌だが市内の書店を複数回ってみる笑。その結果、「BURRN!」や「Young Guitar」という雑誌にぶち当たりました。
立ち読みしてピンときたバンドについてできるだけメモをとり、ショップでCDを買ったりレンタルして聴いていくうちに確信になりました。
そしてすぐにレコードショップでCDを見るコーナーが変わり、聴くアーテイストも例えば「Judas Priest」「METALLICA」「Yngwie Malmsteen」「Symphony X」「Dream Theater」「Queensrÿche」などに変わりました。
僕はDJで「(ネットのような痒いところに手が届くツールが不自由なく使えるご時世でも)優れた音楽(楽曲)は実は自分の目の届かないにあり、その場所を自分で掘り当てるべきである」という考えを持っていますが、この経験が根源になっているのかもしれません。
ギターとバンドをやって「自分には不向き」と痛感
地道に練習して時間がたち、大学に入学。
高校の時はバンドやりたい、ましてや海外のハードロックやヘヴィメタルが好きな人なんぞ周りに全くいなかったので、大学ではバンドやるサークルに入りました。
人見知りでコミュ力も全然ない自分が、音楽友達欲しいなーって人生で最も思っていた時期です笑
サークルでいくつかバンドやって気づいたことがありました。
「…あ、俺バンドもギターも向いてないわw」
「ハードロック」「ヘヴィメタル」のフィンガリングって、スキル上では精密機械ぐらいの正確さがないとダメなんですよね(DJのフィールドで言うならバトルDJできるレベルだと思う)。
しかもそんなハードルの高さでも上手い人がわんさかいたし。
逆に好きなジャンルじゃなかったけれど、ベースでジョインしたバンドではうまくプレイできたことが多かったし、やっていて結構楽しかったです。
何事もやった結果からでないとわからないとは言え、「好き」「得意」の両ゾーンに入ったことをやらないとダメなんだなということを痛感しましたね。
それと、サークル活動ではバンドが人数とパートがうまくマッチングして組めないと(半ば強制的な空気感で)ドロップアウトになってしまうんですよね。
僕はサークルで一つのジャンルをやることに固執しない考えに途中で変更して、楽器もギターからベースに持ちかえるなど柔軟に対応したから最後までやれたけれど、それは活動することを優先した妥協したということです。
練習するのにもスケジュール調整が大変過ぎるし、正直バンドというシステムって合理的じゃないなーって心の隅で思っていました。
でも、この時のギターとベースの経験のおかげで、今だとダンスミュージックのトラックメイキングでは分散コードが思いつきでも打てるようなったし、ベースラインのアレンジもできるようになりました。
能力開発という意味では、これからDJに取り組む人は何らかの楽器をやっておいたほうがいいかもしれませんね。
「低音フェチ」だから再びエレクトロダンスミュージックへ
ロックミュージックを聴くのとバンドは多分23歳ぐらいまでなんだかんだかんだ続けていましたけれど、23歳で再びダンスミュージックにすっぱり戻しました。
DJもその後すぐ始めて、25歳には現場に立ちました。
そのきっかけは、石野卓球氏主催のWIREや、WombやyellowといったクラブのイベントでTechno、Techhouse、Progressive Houseというジャンルに浸かってしまったこと、そしてIBIZA島のクラブを体験したことあたりでしょうか。
他にもかけがえのない経験はいっぱいあり、詳細はこのブログの中で紹介していきたいところですが、共通しているのは、エレクトロダンスミュージックはいつの時代も「迫力ある低音だけで気持ちよくさせてくれる」ということ。
これは他のジャンルにはない特長であり、僕が再びエレクトロダンスミュージックに夢中になった理由に他なりません。
僕はエントランスあたりで聴こえるクラブの外に漏れる低音が大好きです。
「低音=イベントへのワクワク感、何かが起こりそう感」。
ジュリアナのコンピCDを聴いた時でも、バンドをやっていた時でも明らかなのは、自分は結局低音の世界の住人だということでした。
だからトレンドや形態は変われど、迫力のある低音がある限り僕はいつまでもエレクトロダンスミュージックを愛し続けることでしょう。